藤本タツキの短編漫画『さよなら絵梨』は、何が現実で何が映画なのか、読み終えても簡単には答えが出ない作品です。
絵梨は本当に吸血鬼だったのか。そして、物語の最初と最後に描かれる爆発には、どんな意味があるのでしょうか。
ここでは、ふたつの爆発と絵梨の正体を手がかりに、優太が映画に残そうとしたものを考察します。
『さよなら絵梨』の考察 どこまでが現実でどこからが映画なの?
『さよなら絵梨』で描かれた出来事は、基本的には実際に起きたことで、爆発だけが優太の加えたファンタジーなのではないかと、私は思っています。
この作品は藤本タツキによる読み切り漫画。2022年4月に「少年ジャンプ+」で公開され、同じ年の7月に集英社から単行本が発売されました。
物語は、優太が12歳の誕生日に母親からスマートフォンを贈られ、日常を撮影しだすところから始まります。
やがて母親は病気で亡くなりますが、優太が彼女を撮影した映像を編集した映画『デッドエクスプロ―ションマザー』では、最後に病院が爆発。
といっても、もちろん本当に病院が爆発したわけではありません。優太が映画に加えた演出です。
母親が亡くなった病院を爆発させるなんて不謹慎だ、と優太は映画を観た先生に叱られてしまいますが、そりゃあそうですよね。
私もこの映画をいきなり観たら、優太を非難してしまうと思います。
いっぽう、病院の屋上で絵梨と出会ってからの出来事も、どこまでが現実で、どこからが優太の映画なのか、明確に示されていません。
なんとも不思議で魅力的な、わかりにくい作品ではあります。
映画の中だからといってすべてが作り話だったとは限りませんし、優太が実際に体験したことを撮影し、編集の腕で見せ方を変えているとも考えられますよね。
優太の映画に登場する絵梨の、どこまでが本当の姿なのでしょうか。
では次に、絵梨の正体について考えてみます。
『さよなら絵梨』の考察 絵梨の正体は本当に吸血鬼だった?
優太と同じ学校に通う、美少女の絵梨。優太の映画の中では吸血鬼として登場します。
私は絵梨が本当に吸血鬼だったというより、優太によってそう描かれただけなのでは? と思いながら読んでいました。
なぜなら絵梨も病気を患っており、亡くなったことが語られているからです。
吸血鬼だったらそんな亡くなり方しませんよね、たぶん。
ところが物語の終盤、大人になった優太の前に、若いままの絵梨が現れるのです。
彼女は自分が吸血鬼であることや、長い年月を生きるうちに記憶が失われていくことを語ります。
えー、ほんとに不老不死の吸血鬼だったの?
たとえ肉体が生き続けても、優太とすごした日々を忘れてしまうとしたら、それは以前と同じ絵梨なのかしら?
でもこれも優太が作った映画の一場面かもしれず、現実には亡くなってしまった絵梨を映画の中で生き続けさせただけなのかもしません。
母親の死の瞬間を撮ることができなかった優太ですから、絵梨の死も受け入れがたかったとは考えられないでしょうか。
だとすると、吸血鬼というのは設定であるけれども、絵梨の正体を明かすものではなく、彼女を失った優太の想いをあらわすものだったとも受け取れるのです。
『さよなら絵梨』の考察 最後の爆発にはどんな意味がある?
最後の爆発も最初の病院の爆発と同じく、優太が映画に加えたひとつまみのファンタジーなのだと私は思います。
『デッドエクスプロ―ションマザー』では母親の最期を撮影できず、逃げ出した病院を爆発させるという演出をしましたよね。
物語の最後では、大人になった優太と若いままの絵梨がいつもふたりで映画を観ていた場所で再会したあと、その建物がやはり爆発します。
その爆発もまた、悲しみから逃れるためだけのものだったかというと、それは少し違うと思うんです。
優太は死へと向かう絵梨との日々を映画に残しました。だからこそ、再び現れた絵梨と別れ、今度こそは自分の意思でその場所から去るために、最後の爆発を加えたのではないでしょうか。
同じ爆発でも、最初は死から逃げるため、最後は死を受け止めて前へ進むため。そんな対比が描かれているように感じました。
『さよなら絵梨』の考察 優太が映画に残したかったものとは?
優太が映画に残したかったのは、母親や絵梨のありのままの姿ではなく、自分が覚えていたいふたりの姿だったのではないかと思います。
母親の映画には、優太が選んだ優しくて美しい母親の姿が映っています。でもそれだけが母親のすべてではありませんよね。
現に父親は「お母さん、機嫌悪いと話しても無視されたし、褒められたことなかった」と言ってましたし。
絵梨も同じです。優太と過ごした時間のほかに、彼女自身の人生がありました。
カメラは出来事を記録しますが、何を映し、何を残すかは撮影する人が決めて、やがてそれが真実のように残ります。
そして、ずっとカメラを向けている優太自身も、私たち読者にとっては物語の中に映し出される人物に過ぎないんです。
そう考えると、誰かが選んで見せているものかも、なんて思ってしまいますよね。
優太が加えた「ファンタジーをひとつまみ」は、現実を偽るためではなく、大切な人との別れを自分なりに受け止めるためのものだったのでしょう。
なお、2026年10月現在、『さよなら絵梨』単独のアニメ化は公式発表を確認できません。
藤本タツキのほかの短編をアニメ化した『藤本タツキ 17‐26』にも、本作は含まれていませんでした。ぜひ、アニメ化を待ちたいですね。
どこまでが現実でどこまでが映画なのか。
その答えを決めきれないところにこそ、『さよなら絵梨』の魅力があるのだと、私は思います。

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