『我々は宇宙人』はオリジナル長編アニメーション映画です。
タイトルからSFチックな作品を想像するかもしれませんが、描かれているのは懐かしい、とても身近な人間の物語。
同時に人間の怖さや切なさも満載です。
ここでは、あらすじや声優などの基本情報と、実際に観た感想を紹介します。
『我々は宇宙人』映画はどんな作品? 声優は誰?
『我々は宇宙人』は、2026年9月25日に公開された、門脇康平監督によるオリジナル長編アニメーション映画です。
どんなお話かを紹介する前に、少しだけ基本情報を紹介しますね。
門脇監督にとって本作は初の長編作品。
企画・脚本のほか、絵コンテやキャラクターデザイン、作画監督、編集なども手がけています。
公開時、門脇監督は29歳だったんです。若いですね。まさに新鋭監督。
物語の中心となるのは、小学生のときに出会った翼と暁太郎(ぎょうたろう)。ふたりの少年時代からその後の人生までが描かれています。
翼の声を演じるのは坂東龍汰、暁太郎役は岡本天音。私は岡本天音が好きなので楽しみだったのですが、子供時代の声優である中込佑玖も、子供らしく生き生きとしてよかったですよ。
翼の子供時代は槙木悠人。ほかに山崎天、松井ケムリ、佐野岳、大関れいか、佐々木ありさ、エド・はるみらが声優として参加しています。
最初にタイトルだけ見たとき、宇宙人が登場するSFアニメなのかなと思ってしまいましたが、そうではありませんでした。
子供のときに出会い、様々な感情を抱き合って、やがて離れてしまう。
誰もが、自分の子供時代と重ねてしまうようなエピソードが満載の作品です。
『我々は宇宙人』映画のあらすじは?
小学校3年生の翼は、自分が「ふつう」であることにコンプレックスを抱いていました。
それもあってクラスの人気者である暁太郎と友だちになります。あこがれもあったんでしょうね。
外で虫取りをしたり、互いの家を行き来したりして楽しくて遊びます。扇風機の前で「ワレワレハ、ウチュウジンダ!」と変な声に大笑いしたり。
ところがある日の放課後、翼は誰もいない教室で暁太郎がなにかしているのを目撃します。暁太郎は翼のランドセルの前で「ピーピロリロリロ。地球での極秘任務完了。宇宙へ帰還します!」と、どこかに通信していたのです。
もちろんこれは子どもらしいひとり遊びだったのですが、もともと暁太郎は不思議な言動をすることが多かったのですが、びっくりした翼は「ほんとに宇宙人なんじゃないか」と怯えるようになります。
「ふつう」は嫌なのに「ふつうじゃない」友だちは怖いんですね。
やがて暁太郎はクラスでも浮いた存在に。翼は変人扱いされる暁太郎と距離を置くようになってしまいます。
ふたりの間の空気は重苦しくゆがみ、さらに決定的なことがいくつか起きます。
・暁太郎が翼の傘を壊してしまい、その結果翼のゲーム機が親に没収される。
・翼の大切にしていたポケモンシールがなくなる。暁太郎が盗んだのではないか。
・暁太郎の作った粘土細工を翼が階段の上から落とし、メダカの水槽が割れ、同級生の小夏がケガをする。翼の嘘の証言で、そこに居合わせた暁太郎が犯人にされる。
子どもにとって学校は小さな社会ですし、ますます暁太郎の立場は悪くなり、逃げ場もないまま追いつめられてゆきます。
特筆すべきは、水槽事件を境に、この作品の視点がぐるっと変わることです。
このあと、物語は翼ではなく、暁太郎視点で進んでゆきます。
『我々は宇宙人』映画のあらすじ、30年後はどうなった?
子どもの残酷さと言ってしまえばそれまでですが、大人になった翼は当時の出来事を重要なこととして記憶していませんでした。
もっといえば、ほとんど忘れていたんだと思います。
30年後の彼は、あんなに嫌だった「ふつう」の生活を手に入れ、妻子あるサラリーマンとして暮らしているのですから。
私もそうですが、そうそう子ども時代のことなんて思い出しませんよね。
一方、暁太郎はクラスのみんなから受けたいじめがトラウマとなり、貧しくすさんだ底辺の生活を送っていました。
たったひとつの心の支えは、当時小夏にラブレターをもらったという記憶。暁太郎、小夏ちゃんが好きだったのね。
ところが今になって、30年もたって、そのラブレターが実は翼がしかけた偽物だったことを知ります。
暁太郎は翼に復讐するため、ナイフで襲いかかるのですが、観ていてびっくりするほど画面の色調もタッチもここで変化します。
子ども時代はどこかセピアがかったリアルなパステル調で美しいのですが、復讐シーンはドロドロ。しかも大人の男どうしですしね、迫力が違います。
とにかく、人って怖いなと思いました。暁太郎にしてみれば翼に人生を狂わされたと思っているわけで、それをろくに覚えてないなんて許せないですよね。
緊迫の襲撃シーンが続くなか、ふたりは公園に入りますが、そこには恐竜の遊具がありました。
「なんだっけ」と突然つぶやく暁太郎。実は彼はかつて恐竜大好き少年でもあったのですが、目の前の恐竜の名前がまったく思い出せません。
その瞬間、自分ももうあのころの自分ではなくなってしまっていることを悟ります。
「忘れてしまっている翼」と、「囚われ続けてきた自分」のはずが、自分にも記憶がない。翼を責めている自分も同じだった―――。
怒涛の襲撃シーンは、痛いほどの哀切さで終わります。
『我々は宇宙人』映画のラストシーンは何を意味する?
作品のラストでは、高速道路を走る翼と暁太郎が、偶然隣り合わせになります。
翼は家族を乗せ、暁太郎はタクシードライバーとして。
それぞれ違う人生を歩んできたふたりが、小学生のあの日のようにまた出会い、並走します。
そして交わされる「じゃあね!」と「じゃあね!」。
それは当時ふたりが帰り道で何度も交わしていた言葉でした。
車は別々の方向へ分岐して離れます。過去が消えたわけでも、すべてがすっきり解決したわけでもありません。
でも私にはあの「じゃあね!」には、お互いをちゃんと認め合う響きがあったように感じられました。
偶然出会っては別れてゆく……。このラストシーンは人生そのものをあらわしているのかもしれないと感じました。
漫画家の藤本タツキは、門脇康平監督との対談で本作を「体験の映画」と表現しています。
観終わると自分自身の話をしたくなる映画なんだそうです。
たしかにこの物語で描かれる出来事は、復讐シーンは激しすぎるにしても、決して特別なものばかりではありません。
だからこそ、観る人はそこに自分の記憶や経験を重ね、それぞれの物語として受け止めるのかもしれませんね。

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