ルックバックはなぜ意味がわからない?結末までの流れを整理して解説

『ルックバック』は、京本の死後から物語の様相が一変します。

現実とは違う「もしも」のような展開が始まり、「最後はどういう意味?」「結末がよくわからない」と、とまどった人も多いのではないでしょうか。

ここでは原作のネタバレを含めながら、4コマ漫画によって分岐する後半の展開を整理、読み解いていきます。

さらにはアニメ版、実写版も見くらべたうえで、タイトル『ルックバック』に込められた意味について考えます。

『ルックバック』はなぜ意味がわからない? どこで迷子になるの?

『ルックバック』を読んでいて、気づいたら「あれ?」と首をかしげた人は多いでしょう。

ひと続きの物語だと思っていたのに、途中からいつの間にか違う世界に入ってしまった……?

気づいたらよくわからない時間が経過している……?

私たちはどこで迷子になってしまうのでしょう。順を追って考えていきますね。

京本は進学した山形の美術大学内で、ツルハシを持った男に襲われ、命を奪われてしまいます。

彼女が座って休んでいた廊下のソファに、最初の刃先が深々と刺さったときには、目を覆いたくなりましたよね。

男は「ネットに公開していた絵をパクられた」からと、12人も殺害。ほかに重傷者が3人。

むろん京本は何もしていないので、運悪くとばっちりを受けたとしかいえません。

中学、高校と一緒に漫画を描いてきた藤野は、葬儀後に京本の部屋に行き、小学校の卒業式の日に自分が描いた4コマ漫画を発見。涙があふれます。

「私のせいだ、私があのとき漫画描いたせいで」「京本死んだの私のせいじゃん」「京本、部屋から出さなきゃ死ぬことなかったのに」―――。

不登校児だった京本を外に連れ出したことを、藤野は後悔したんですね。ふたりの名前を合わせた藤野キョウ名義で活躍していた事実があるから、衝撃と自責の念も大きかったと思います。

もちろんこれは彼女が後悔の中で結びつけた因果にすぎず、藤野が京本を死なせたわけではないのですが。

ここまでは、一連の時間軸であるといえます。

そしてこのあと、藤野の「漫画を描かなかった世界」が展開されるのですが、それが彼女の想像なのか、別の世界線に存在するものなのか、わからなくなります。

もしあの日、ふたりが出会っていなかったら? そこが描かれることによって、現実の藤野の混乱と放心が私たちの中にも色濃く染み込み、二重構造の迷子になってしまうのだと思います。

 

『ルックバック』はなぜ意味がわからない? 結末までになにが起きた? 別の世界線を整理する

『ルックバック』がわからない、意味不明と思われるもうひとつのきっかけは、藤野が4コマ漫画を破り、その1コマ目が京本の部屋――ドアと床の隙間へと滑り込んでいった瞬間に始まっている気がします。

漫画の切れ端を拾い上げたのは、あの日の半纏姿の京本でした。

1コマ目のセリフは「出てこないで!!」。京本は家を出ず、藤野と出会わない世界線の分岐へと入ってゆく。

その世界線でも京本は背景美術に強く惹かれ、同じ美大へと進学します。そしてあの事件に遭遇します。

京本、やっぱり死んじゃうの? そう思ったとき、突然現れた藤野が「うらア!!」と犯人に飛び蹴りをお見舞い――!。そのあと突きもかましてます。

きっとそちらの世界ではお姉ちゃんと空手道場に通って、強くなっていたんでしょう。

藤野と京本はようやくここで出会うのです。もとの世界より6年以上遅れていますね。

ふたりの漫画人生がこれから始まることを予感させるシーンは、まだ初々しく爽やかでさえあります。

「私のせいだ」を言わなくてすむ世界に、私はほっとしました。なぜ藤野が都合よく山形の隣町にいたのかは置いておくとして。

これを単に藤野の願望、エゴだと言いきることもできるでしょう。でも、そうとは限らない。

この4コマ漫画は藤野が京本にむけて描いたものですが、京本が藤野に向けて描いた(かもしれない)別の4コマ漫画の登場によって、この世界線の輪郭があやふやに溶けだします。

 

『ルックバック』はなぜ意味がわからない? ふたつの4コマ漫画の役割の違い、それぞれどんな意味があるの?

京本が描いた漫画のタイトルは『背中を見て』。

飛び蹴りのあと足を骨折し、救急搬送される藤野を見送った京本が自宅に戻り、小学校時代の藤野の4コマ漫画を読み直した際に描いたものです。

すると漫画は窓からの風に飛ばされ、ドアの隙間から今度は外へと滑り出します。それは京本を亡くし、廊下で泣いていた藤野のかたわらに。

その4コマ漫画はツルハシ男に襲われている京本を、藤野がキックで助けるという、予言のような内容でした。藤野はカッコよく去ってゆくのですが、その背中にはツルハシが刺さっている。

驚いた藤本が京本の部屋に入った瞬間、いままで溶けていた輪郭が一気に固着し、現実の世界へと戻ります。

それは「私のせいだ」が存在する場所なんですね。藤野はもう放心してはいられない。

本棚には藤野の『シャークキック』の単行本が並び、壁にはあの半纏がかかっており、京本の不在が際立って……苦しかったです。

つまりふたつの4コマ漫画は、分岐をつくり別の世界線へと私たちを放り込み、それをまた現実に収束させる役割を持っているのではと思います。

すっきりと割り切れるわけではないですが、そこがまた、いつまでも胸に引っかかりを残す効果を生んでいるのでしょうね。

迷子になってようやく家に帰れたけれど、どうしてそんなことになっちゃったのか意味がわからない……そんな感覚になりました。

『ルックバック』はなぜ意味がわからない? 藤本の失われたセリフと『ルックバック』の意味するところは?

ところで、2026年9月に公開された実写版には、原作やアニメ版と決定的に違う点がありました。

それは、「私のせいだ」のシーンがなかったこと。あれっ?と思った人も多かったんじゃないでしょうか。

実写版『ルックバック』は、第83回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門に正式出品されました。

四季を通じた自然の描写も美しく、特に私は雪のシーンが印象に残っています。

ところがあのセリフがなかったせいで、きれいな風景が移り変わるのをずっと眺めていたような余韻だけが残った気がするのです。

分岐後のヒリヒリ感が薄く、京本との記憶の蓄積の海をただ泳いでいたような。

「私のせいだ」のシーンを置くと、そこだけが現実として重く残り、シーンごとの統一感がなくなってしまうからかもしれませんが、私としては残してほしかったなぁと思いました。

タイトルの『ルックバック』には、文字通りの「背中を見ろ」や「振り返る」のほかに、漫画で京本が担った背景という意味もあるのでしょうね。

私は、雪の中で藤野が京本に言った「おー 京本も私の背中見て成長するんだなー」という、上から目線のセリフがいちばん印象に残っています。

その位置関係の危うい均衡が、幾重にも背中に乗っかっているような。私たちはその間で迷子になり、意味がわからなくなってしまうんだと思います。

単行本のカバーにも、絵を描く藤野の後ろ姿が使われています。

作中でも繰り返しふたりの背中が描かれていますし、本当に意味深なタイトルですよね。

その意味を考えるためだけにも、何度でも触れたくなってしまう、そんな作品だと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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