手塚治虫の「紙の砦」は、「ゴッドファーザーの息子」と共にNHKドラマ『手塚治虫の戦争』の原作に。
漫画の神様・手塚治虫の原点ともいえる戦時下での執筆活動、作品のあらすじを解説!
あの「鉄腕アトム」へとつながる、命への想いについても深読みします。
手塚治虫の「紙の砦」とはどんな作品? タイトルにこめられた意味とは?
手塚治虫の「紙の砦」は、週刊少年キング(少年画報社の漫画雑誌)の昭和49年(1974年)9月30日号で初めて発表された、短編漫画です。
主人公は大寒鉄郎(おおさむてつろう)という、手塚治虫自身をモデルにした旧制中学5年生。現在の中学3年生ですね。
大寒と聞いただけで治虫、つまり手塚治虫自身なんだとわかる設定です。これだけでもう手塚ファンなら、やられちゃいます。
私も最初に読んだときには、おおっ!とうれしい声をあげてしまったのを覚えていますから。
「紙の砦」は昭和19年から20年、第二次世界大戦末期の戦時下から終戦までが描かれた物語です。
当時の学生さんたちはもちろん勉強どころではありません。防空壕を掘ったり竹槍訓練などを行う軍事教練、工場でのきつい勤労などに明け暮れていました。
戦争を知らない私たちにとっては嘘みたいな日々です。私だったらいくらお国のためとはいえ、耐えられないかも。
でも鉄郎少年にはマンガがありました。マンガを描くことが生きがいというか、生きるすべてだったんですね。
当時は出版統制令が出ていたので、本屋に行ってもマンガ本を1冊も見つけることはできなかったそうです。
だから、描くしかない。美術部所属だけれども、見つかったら裏切り者として殴られるので、こっそり描くしかない。
「紙の砦」というタイトルには、紙とペンで戦う鉄郎少年の熱い想いと、いつ敵に破壊され、燃え崩れるともわからないギリギリの場所、というような意味が込められているのだと思います。
そんな「紙の砦」は、別作品である「ゴッドファーザーの息子」とともに、NHK特集ドラマ『手塚治虫の戦争』の原作となっています。
手塚治虫の「紙の砦」のあらすじは? 気になる岡本京子との関係
では、「紙の砦」とは具体的にどんな物語なのでしょう?
昭和19年。主人公の大寒鉄郎が、中津駅で自分の落としたマンガ原稿を拾ってくれた岡本京子と出会うところからお話は始まります。
当時は一切の娯楽が厳しく禁じられていました。鉄郎はまわりの眼を盗んでは漫画を描いていましたが、教官に目をつけられてしまいます。
楽しいことや好きなことを禁じられたら息抜きもできないですよね。京子が宝塚音楽学校で学んでいた歌や踊りやピアノも同様でした。理不尽だなぁと感じます。
鉄郎は特殊訓練所へ送られたのち軍需工場の旋盤工として働かされていて、京子と再会します。彼女も倉庫係として同じ工場に配属されていたのでした。
オペラ歌手になる夢を語る京子はとても美しいです。一方で、鉄郎がマンガを描いていることがバレて「非国民!」と罵られながら殴られるシーンなどはその対極にあり、戦争の残酷さをくっきりと浮かび上がらせています。
なぜ味方同士で殴る蹴るをするのかと悲しくなりますが、戦争が起きてしまえばいつでもまた、そんな世界に戻ってしまうのかもしれません。
ほどなくふたりは大阪大空襲に巻き込まれ、両親を失った京子は顔に大火傷を負って絶望します。もう舞台には立てません。
こんな形で夢を奪われた人は本当に本当にたくさんいたのでしょうね。
鉄郎の抱いた戦争への思いは、怒りというよりは無力感、あきらめであったろうと思います。
地獄ってこんなもんかねェ、とつぶやく鉄郎の言葉には、胸がギュッとなりました。できればこんな凄惨な光景は見たくないです。
やがて終戦を迎えたところで、紙の砦は終わります。京子はその後行方知れずになったと描かれています。
手塚治虫の「紙の砦」とともにドラマの原作となった、「ゴッドファーザーの息子」とは?
「紙の砦」と同様にドラマの原作として使われたのが、「ゴッドファーザーの息子」という作品です。
初出は昭和48年(1973年)、別冊少年ジャンプ1月号ですから、「紙の砦」より少し早いですね。
主人公の手塚治は旧制中学に通う16歳。ここでは本名が使われており、「紙の砦」と同じように半自伝的作品として位置づけられている短編漫画です。
手塚は虚弱体質で背も低く、スポーツがからっきしダメな少年。だからマンガにのめり込んでいったんですね。
あるとき学校いちの乱暴者、応援団長の明石と言葉を交わすようになります。
明石は地元の有名ヤクザ、明石会のドンの息子。バンカラで、校内で本物の日本刀を振り回しちゃうような、どうしようもなく怖いヤツなんです。
銃刀法違反で捕まるよ~、と思った人、多かったのではないでしょうか? さすがゴッドファーザーの息子。
実は明石は大のマンガ好きでした。手塚の描いたマンガをとても気に入り、等身大の可愛い女の子(明石がクミコちゃんと命名)の絵を描いてもらったりして、ふたりはお互いの家を行き来するほどの仲良しになりました。
図体の大きな男の子が女の子にデレデレしているのは、いつの時代もほほえましいですね。明石のピュアで柔らかな本質が垣間見られるシーンだなと思いました。
あるとき、全校マラソンレースが行われることになります。下位30人は特別訓練所送りになると聞き、明石は絶体絶命な手塚のコーチ役を買って出ます。
結果、なんと手塚は大量の鼻血を流しながらも10位に入り、賞状まで貰うのです。大喜びして手塚をほめたたえる優しい明石。
ザ・男の友情!ですね。私もうれしくなりました。やればできる!
そののち予科練を経て、明石はフィリピン沖で敵機に突っ込み自爆します。
私はここで一気に現実に引き戻されました。もう少し待てば終戦だったのに。
明石がクミコちゃんの絵を腹に巻いて自爆したことを手塚が語るところで、物語は幕を閉じます。
手塚治虫の「紙の砦」、「ゴッドファーザーの息子」が伝えたかったこととは?
戦時下、そして焼け野原になった大阪で、手塚治虫が命がけでペンを走らせた「紙の砦」や「ゴッドファーザーの息子」の日々。
どうしようもない理不尽さと絶望とともに育まれたのは、人間への温かく優しいまなざしと平和への願い、そして命を守る想いではないでしょうか。
人々を魅了する「鉄腕アトム」が発表されたのは「紙の砦」の時間軸から7年後のことです。
鉄郎少年が嫌というほど味わった地獄の世界を二度と出現させないために、手塚治虫はまっすぐにその道をアトムへとつないでいったのだと思います。
『手塚治虫の戦争』とは、そののちの作品群の土台を作り上げた壮絶な体験と、生きる希望そのものだったのではないでしょうか。
「紙の砦」、そして「ゴッドファーザーの息子」が未読というかたは、ぜひ手に取ってみてくださいね。

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